
アジア太平洋地域のオーケストラ関係者が一堂に会する「アジア太平洋地域オーケストラ・サミット」は1997年に第1回が開催され、13回目となる今回は「22世紀のオーケストラを語ろう~ローカルでグローバルなオーケストラが街を、世界を変える~」をスローガンに掲げて10年ぶりに日本で開催された。本サミットから、学校教育とも関わりの深いオーケストラの「コミュニケーション・プログラム」をテーマにしたシンポジウムの模様をリポートする。
アジア太平洋地域オーケストラ・サミットJapan
22世紀のオーケストラを語ろう~ローカルでグローバルなオーケストラが街を、世界を変える~
セッションⅢ「コミュニケーション・プログラムの現状と未来 全国の巡回公演担当者を交えて」
2026年3月30日 ミューザ川崎シンフォニーホール・市民交流室
取材・文・写真:編集部
「コミュニケーション・プログラム」とは
「コミュニケーション・プログラム」という言葉はあまり耳慣れないかもしれないが、プロ・オーケストラの楽員がコンサートホールの外、つまりは学校や病院、地域の施設などで演奏やワークショップなどを行う活動の総称であり、学校にオーケストラの楽員が出向いて行われる鑑賞教室などの「アウトリーチ活動」もこれに含まれる。
今回のシンポジウムでは、国内外のプロ・オーケストラによる「コミュニケーション・プログラム」の事例共有と、今後の課題について議論が行われた。登壇者は以下の通り(敬称略)。
深堀愛香(群馬交響楽団)
島田 聡(群馬県教育委員会事務局高校教育課指導主事)
グラハム・サトラー(クライストチャーチ交響楽団)
中川広一(札幌交響楽団)
桐原美砂(東京交響楽団)
本稿では、学校教育とも関わりの深い事例として、群馬交響楽団が長年にわたり継続している「移動音楽教室」および「高校音楽教室」の取り組みを中心に紹介する。
群馬交響楽団の取り組み
群馬交響楽団は、戦後間もない時期から「県内すべての子どもたちに生の音楽を届けたい」という思いのもと、音楽教育活動に注力している。その中核を成すのが80年近い歴史を誇る「移動音楽教室」である。1947年に安中市で第1回が開催され、これまでに県内の650万人を超える児童・生徒が鑑賞しているという。
「移動音楽教室」は楽団単体ではなく、群馬県、県内各市町村、およびそれぞれの教育委員会との「共催」という形で実施され、行政が事業を所管し、教育現場(学校)と楽団をつなぐ窓口となることで、安定的かつ継続的な実施が可能となっている。その最大の成果が、県内の小・中学生は基本的に「3年に1回は必ずオーケストラを鑑賞する」という全国でも珍しい独自の教育体制を確立したことであり、行政が単なる資金援助に留まらず、オーケストラ鑑賞を「教育課程の一環」として位置付けてシステム化している点が、この取り組みの大きな特徴である。
前述の通り、戦後間もない1947年に小・中学生を対象とする「移動音楽教室」が始まり、のちの1984年からは、高校生を対象とする「高校音楽教室」も始まった。これにより、県内の公立・私立を問わず、すべての高校生が在学中に必ず1回は群馬交響楽団の演奏を鑑賞するシステムが確立され、まとめると、群馬県の子どもたちは小・中学校で3回、高校で1回、計4回の鑑賞機会があることになる。

群馬交響楽団・事業一課の深堀愛香さん
後発の「高校音楽教室」における大きな特徴は、地域のコンサートホールで開催されること、一般向けの定期演奏会と同水準の曲目が演奏されることなどが挙げられる。小・中学校の「移動音楽教室」には司会者が置かれるが「高校音楽教室」に司会者はなく、しかも演奏曲目も本格的……となると、高校生には少々ハードルが高いのではと思うかもしれないが、「群馬県の高校生は聴けるんです!」と同団の深堀愛香さんは胸を張る。そして、その理由を「やはり、小・中学校で3回というステップを踏んできているからからこそ」と考察する。

群馬県教育委員会・高校教育課の島田聡さん
自身も高校時代に「高校音楽教室」を経験した群馬県教育委員会・島田聡さんは「群馬には群響の音楽教室がある、という共通認識が長い歴史の中で育まれている」と語り、長年の継続により地域社会に芸術文化の土壌が醸成されていることを改めて強調する。開始から約80年ともなれば、子どもの親世代、祖父母世代も漏れなく群響のオーケストラ鑑賞を経験していることになるため、「土壌」といっても何ら過言ではない。
島田さんは「高校音楽教室」について、教育委員会を介して学校現場からのリクエストを楽団に伝え、それをもとに「オーダーメイド」に近い形で演奏曲目が構成されることも特徴の一つとして挙げる。このように演奏曲目の検討や日程の調整など、学校との連絡を教育委員会が担い、会場確保などは楽団が担う、というように実施に向けた役割分担がなされている。
そうして迎える本番当日……一期一会、その時その場にしかない「生の音楽」がもたらす教育的効果について、「生の音楽の力を一番感じているのは子どもたちではないかと思います。YouTubeやサブスクリプションで手軽に音楽を聴ける時代だからこそ“コンサートに行く”ということ自体が、子どもたちにとっては非日常の体験であり、所有(モノ)よりも体験(コト)に敏感な彼らの感性に響いているのでしょう」と島田さん。出来上がった音楽をただ聴くだけではなく、指揮者、ソリスト、楽団員がその場で音を紡ぎ出す「やり取り」を目の当たりにしながら、そこに自分が立ち会うことで得られる「没入感」こそが、生の音楽がもたらす価値であろう、と。
楽団では今後の少子化や資金面の課題に対応するべく「高校音楽教室」の在り方を工夫しており、その一つが空席の有効活用である。空席を一般の聴衆に開放する「大人も音楽教室」の開始により、収益向上を図るとともに、地域の大人が生徒と共に鑑賞することで「地域で高校生を育てる」という意識を醸成し、生徒が自然にコンサートマナーを学ぶ機会にもなっているという。
群馬交響楽団は、「移動音楽教室」や「高校音楽教室」の他にも、幼児を対象とした「群響ぴよぴよコンサート」、楽団員が小・中学生を指導する「楽器セミナー」などの教育活動の他、福祉施設でのアンサンブル演奏や群馬県議会での議場演奏、また市民が主体となって始まった野外コンサート「森とオーケストラ」、団員とファンが親睦を深める「cafeパーティー」など多様な取り組みを行っており、楽団が地域住民との絆を深めながら地域全体の文化レベルを底上げし、音楽の感動を次世代へつなぐ重要な役割を果たしている。
クライストチャーチ交響楽団の取り組み
ニュージーランドの「クライストチャーチ交響楽団」は、楽団の活動の60%を「コミュニケーション・プログラム」に充てるという思い切った取り組みを行っている。それゆえに楽団員の採用や評価基準にも地域交流活動が含まれ、彼らは「社会貢献のスペシャリスト」としての役割も担う。
「コミュニケーション・プログラム」において、クライストチャーチ交響楽団は「エンゲージメント(参加・交流)」を理念に掲げており、「教育プログラム」や「アウトリーチ」といった言葉を使わない。これは一方的に音楽を届けるのではなく、社会と双方向に、参加型で関わっていく姿勢の表れであり、実際に幅広い対象(障がい者、移民・難民、受刑者など)との音楽交流活動を長きにわたって積み重ねている。そして、その活動が社会に与える「インパクト(影響力)」を「言語化することが非常に重要」と同団のグラハム・サトラーさん。このように戦略的にアピールすることで行政との連携を深め、活動の持続性を確保しているという。例えば、行政が掲げる「住みやすい都市」「文化の中心地」といった構想や計画に対してオーケストラがどのように貢献しているのかを具体的に説明することで、支持と資金を獲得するということだ。そうしてオーケストラを社会課題の解決や地域づくりの強力なツールとして位置づけて楽団員の役割や組織の評価軸をもそこに大きくシフトする——この点が同団の大きな特徴と言える。

クライストチャーチ交響楽団・CEOのグラハム・サトラ―さん
「あらゆるコミュニケーションが非常に重要であり、その恩恵は計り知れない」とサトラ―さん。「私たちは常に相手先の団体の方針を尊重し、その団体が有する障害や困難を抱える人々への対応方法に干渉することはありません。私たちがいつも言っているのは、参加者が音楽に触れることが有益だと信じているということ。それだけです」と、その揺るぎない信念を語る。
札幌交響楽団の取り組み
北海道唯一のプロ・オーケストラ「札幌交響楽団」は、年齢や障害の壁を越えて誰もが楽しめる環境を整えた「ユニバーサルコンサート」の事例を紹介した。
このコンサートは、来場者の心理的なハードルを下げるべく、0歳児から入場可能とし、演奏中の出入りや発声を許容した他、チケットを「エリア分け」して販売することで、「周りに同じ立場の人がいる」という安心感を提供。他にも、字幕、手話通訳、カームダウンスペース、ベビーカー置き場の設置、さらには子ども向けの「楽器の重さ体験コーナー」など、徹底した配慮と工夫で“誰もが音楽を楽しめる場”を創出している。その背景には、「視覚・聴覚障害者団体や特別支援学校などの専門機関との綿密な連携があり、それによって実効性の高い企画・運営が可能となっている」と同団の中川広一さん。

札幌交響楽団・総務営業部の中川広一さん
「ユニバーサルコンサート」の来場者からは「障害をもつ家族がいるためにコンサートを諦めていたが、久しぶりに生の演奏を聴く喜びを味わえた」といった声も寄せられているとのことで、オーケストラに関心はあっても事情により音楽から遠ざかっていた人々を再びコンサートホールに呼び戻すことに成功している。中川さんは「今後は観光とオーケストラの融合など、新たな事業展開や地域活性化にも挑戦していきたい」と意気込む。
東京交響楽団の取り組み
2004年から川崎市とパートナーシップ契約を結び、本サミットの開催拠点であるミューザ川崎シンフォニーホールをホームグラウンドとする「東京交響楽団」もまたコミュニケーション・プログラムに積極的な楽団である。
同団の子ども向けのプログラムは、単なる演奏会ではなく子どもの視点に立った企画に力を入れる。例えば、子どもの関心を惹きつける「ヘンテコなもの」をキーワードにして演奏会を構成し、その中に子どもの質問に指揮者や楽団員らが答える「なぜなにオーケストラ研究所」、一緒にリズムを刻んで共演する参加型のプログラムを設けるなど、子どもたちの好奇心に寄り添った仕掛けがなされる。
また、障害の有無などにかかわらず、音楽を通じて誰もが等しくパフォーマーになれる場として同団と「かわさきジャズ」の協働により行われた「かわさきBRIDGEオーケストラ」の取り組みも紹介された。これはプロ・アマ関係なく参加者がその場で音を重ねてゼロから音楽をつくっていくというクリエイティブな活動である。
その他に、同団は伝統に縛られない試みにも積極的で、バーチャルピアニストとオーケストラとがリアルタイムで共演する(バーチャルピアニストは別の場所で演奏)という世界でも類を見ない試みも行っている。これは経歴や身体的特徴に縛られないアーティストの活躍の場をつくる取り組みであるとともに、最新技術によってこれまでにない没入感のあるコンサート体験、すなわちクラシック音楽の新しい楽しみ方を提案するものである。

東京交響楽団・フランチャイズ事業本部の桐原美砂さん
同団の桐原美砂さんは、コミュニケーション・プログラムを「オーケストラと外の世界、多様な価値観との接点」と捉えた上で「オーケストラの活動を『コミュニケーション・プログラム』と『そうではないもの』に分けるのではなく、オーケストラのすべての活動が『コミュニケーション・プログラム』と捉えてもよいのではないかと思います。どのような公演においても外の世界との接点は必ずあるはずなので」と語り、オーケストラが自ら「外の世界」へと開いていく姿勢の大切さ、それにより社会におけるオーケストラの価値が再発見されることの重要性を指摘した。

このシンポジウムを振り返ると、桐原さんの指摘にある通り、「コミュニケーション・プログラム」を単なる特別企画ではなく「オーケストラの全活動が外の世界との接点であり、それ自体がコミュニケーション・プログラムである」と捉え直す視点がまず重要であり、それに伴って楽団員の役割を再定義すること——「音楽家自身が社会の多様な価値観と向き合いながら表現を豊かにしていく」姿勢こそが、オーケストラの生存戦略として求められていると言えそうだ。この「多様な価値観と向き合いながら共に成長する」という在り方は、まさに現代の学校現場に求められていることとも深く通じるものであろう。
